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研究業績リスト

文学研究科仏教学専攻「課程博士」一覧(2013年1月現在)

那須円照「アビダルマ仏教の研究―時間・空間・涅槃―」(平成14年3月)
那須真裕美「中期中観派における二諦説の研究―とくにバーヴィヴェーカを中心に―」(平成16年3月)
孫儷茗「『婆沙論』を中心とする説一切有部の修道論」(平成16年3月)
岡本健資「Aśokāvadānaの研究」(平成17年3月)
那須良彦「説一切有部における得と衆同分の研究―実在非実在をめぐる議論を中心に―」(平成18年3月)
井上博文「涅槃経と律蔵に記される結集記事」(平成18年3月)
岩田朋子「臥坐具犍度の研究」(平成19年3月)
小池清廉「仏教思想と生命倫理 Bioethics from a Buddhist Viewpoit」(平成19年9月)
金才權「中辺分別論における三性説の研究―三性説の形成とその思想史的展開を中心として」(平成20年9月)
大谷由香「中世律宗における戒体思想の変遷」(平成21年9月)
天野信「大本経の研究―過去仏思想と仏伝との関連性―」
高岡善彦「三論教学における空性と修道の研究」(平成21年9月)
大谷欣裕「平安期真言教学の研究―東台両密の教学交渉―」(平成22年3月)
野呂靖「日本中世華厳学における成仏説の研究―高山寺系華厳学を中心に―」(平成22年3月)
松島央龍「無表の研究」(平成22年9月)
三浦和浩「日蓮思想の研究」(平成22年9月)
コンカーラッタナラック・プラポンサック「止観の研究―初期経典から註釈文献へ及び現代タイ仏教の実践法」(平成22年9月)
金沢豊「『中論頌』における「見」の研究」(平成23年9月)
金子大輔「阿閦仏の研究」(平成23年9月)

研究生(2011/10/21現在)

鍵和田聖子

  1. 「日本の密教曼陀羅と神仏習合」(『東洋英和大学院紀要』創刊号 2005.4.1)
    日本では仏教が伝来すると、まもなく日本の土着信仰との習合を見せ始めるが、特に密教の伝来は大きな影響を与えた。そして、密教の曼荼羅や曼荼羅的なとらえ方が日本の神仏習合の発展に多大な効果をもたらした。
  2. 「東寺講堂立体曼荼羅の思想的背景」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』第28号pp140〜156、2006.12.28)
    東寺講堂の立体曼荼羅は、空海が金胎両部の密教思想と『仁王経』や『守護経』といった護国経典の思想を巧みに組み合わせ、伝道すべき密教思想と国家の要求する鎮護国家の機能を持つ曼荼羅を作り上げたものと考えられる。
  3. 「覚鑁における順次往生についての一考察」(『龍谷大学仏教学研究室年報』第13号、2008.9.31)
    覚鑁の説く順次往生については、極楽往生を指すのか即身成仏の一種なのかが議論される所であるが、『大日経』所説の三句の法門を順次往生の親因とすることから、十住心を順に次第して即身成仏に至る機根を指していると考えられる。
  4. 大日即弥陀思想の事相的研究」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』第30号、(pp17〜31、2008.12.10)
    東密で描かれる宝冠を頂いた紅頗梨色阿弥陀如来の形成には、常行堂本尊や台密の阿弥陀法が影響したと考えられ、そこに東密における「大日即弥陀」という思想を反映したものと言えることから、事相面の台密から東密への影響を見ることができた。
  5. 「曼荼羅上の大日位と弥陀位の交替(居替)における台密から東密への影響」(『印度學佛教學研究』57号2009.3.20)
    台密で行われた『大日経義釈』に説かれる曼荼羅上の大日・弥陀の入れ替えは、台密では阿弥陀法及び受明潅頂の曼荼羅の一例として発展したが、東密に至ると、「大日即弥陀」という思想で意味付けされる過程が見て取れた。
  6. 「仁海本仁王経曼荼羅の思想的裏付け〜金剛利菩薩の三昧耶形を中心に〜」(『密教図像』30号、2011刊行予定)
    仁王経曼荼羅には仁海本と定海本があるが、金剛利菩薩の三昧耶形が鉤と剣という違いがある。これは、仁海が金剛利菩薩と同体とされる文殊菩薩の鉤の印契をヒントに数々の要素を盛り込み曼荼羅を作成した結果である。
  7. 「両頭愛染曼荼羅の成立に関する一考察〜金胎不二の図像的表現を中心に〜」(『印度學佛教學研究』第60号、2012刊行予定)
    両頭愛染は愛染と不動が合体しているという形相から、男女敬愛の象徴としてしばしば注目を浴びるが、儀軌次第を参照すると、その背景には金胎不二の思想を基本とすることが理解され、曼荼羅もそれを想定して配置されている。

 

井上綾瀬

  1. 「「パーリ律」薬?度の薬品についてー樹脂の薬を中心にー」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』第29 集、pp61-79、2007)
    律文献中にみられる薬品を実際の鉱物や植物と同定した。特に、比丘が、生涯を通じて保持・使用が許可されている薬(尽形寿薬)のなかで「樹脂の薬」に分類される薬品名は、同定が確実でなく、現時点での情報を収集し整理した。
  2. 「bhojaniya とkhAdaniya」(『印度学佛教学研究』第51巻第1号〔通巻第113 号〕pp343(174)-340(177)、2007 )
    律文献中には、比丘の食事に関する記事が散見できる。食品の分類として記述されるbhojaniyaとkhAdaniya の意味内容を解明した。前者は、動物性タンパク質と炭水化物、後者は、野菜や果実である。現代日本語で使用する「主食、副食」というような意味で使用される言葉であった。
  3. 「yAmakAlika について」(『パーリ学仏教文化学』第22 号、pp27-39、2008)
    律文献中にみられる「比丘が午後も飲むことが許可されているジュース」について調査した。ジュースの材料となる植物の同定、および、飲料の作り方や保存法の研究をおこなった。酒とジュースの境界は、比丘にとって問題になるため、果実の絞り汁を日光に当てて醗酵を促してはいけないなどの規則がある。
  4. 「過去七仏が悟りをひらいた木」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』第29 集、pp1-19、2009)
    過去七仏は、各々菩提樹の樹下でさとりをひらいたと言われる。それら7種の樹木の同定を経典、及び、注釈文献からおこなった。漢訳文献とパーリ語文献を使用したため、文献によって異なる樹木が菩提樹として知られている場合もあった。
  5. 「パーリ資料にみられるBhesajja」(『印度学佛教学研究』第58巻第1 号〔通巻第119 号〕、pp350(211)-374(214)、2009)
    比丘の食事と薬は、原材料は同じであるが、保持期限によって分類される。また、食事と薬は、区別されるものであるにも関わらず、薬?度には区別されずに記事が残っている。そのため、Bhesajja という単語に「食事」という意味が含意されないか検討した。
  6. 「過去七仏が悟りをひらいた木-サーンチー編-」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』第30 集、pp1-、2010)
    龍谷大学大学院文学研究科紀要第29 集で検討した7種の菩提樹を「過去七仏礼拝」と同定されているサーンチーの浮彫り彫刻の特徴と比較した。サーンチーで「過去七仏礼拝」と同定されている浮彫り彫刻を植物の特徴や7本の菩提樹の特徴から、検討した。
  7. 「尽形寿薬に関する諸律因縁譚の比較研究」(『印度学佛教学研究』2011 年刊行予定)
    尽形寿薬の因縁譚には、諸律文献によって特徴がある。律を保持していた部派による異同だけでなく、異なる系統の部派の律に近似点があるなど、部派の系統によって律文献の整理ができないことを確認した。

 

村上明也

  1. 「源信における「無量寿三諦説」成立の再考」(『仏教学研究』第64号、2008.3.10、137〜157頁)
    本稿では、源信撰『阿弥陀経略記』の無量寿三諦説と無縁慈悲釈の関係から浮かび上がってくる教学を見極め、無量寿三諦説の成立を『往生要集』の「三身一体観」に求めた佐藤哲英博士及び花野充昭先生の主張を補強した。
  2. 「『摩訶止観』の六即大乗説に対する疑義」(『印度学仏教学研究』第56巻第2号〔通巻第114号〕2008.3.20、183〜186頁)
    本稿では、智の親撰書と真撰書を比較することによって、現行『摩訶止観』の「六即大乗」義が天台大師真説ではなく、そこに潅頂の再治ありとの疑義を提示した。
  3. 「『菩薩戒義疏』の天台大師説を疑う」(『印度学仏教学研究』第57巻第2号〔通巻第117号〕、2009.3.20、218〜221頁)
    本稿では、智の講説を潅頂が聴記したものと考えられてきた『菩薩戒義疏』の「天台大師説」に疑義を示すとともに、本疏が湛然『止観輔行伝弘決』完成の[755—765]には間違いなく成立していたことを報告した。
  4. 「天台大師の十乗観法に関する考察—『観心論疏』との比較を通して—」(『印度学仏教学研究』第58巻第1号〔通巻第119号〕2009.12.20、191〜194頁)
    本稿では、『摩訶止観』と智講説当初の『摩訶止観』を比較することで、前者が円観よりも行法を中心とした修行論を、後者が行法よりも円観を中心とした修道体系を展開させていることを指摘した。
  5. 「智と灌頂とに見る『中論』「三諦偈」解釈の相違」『西山禅林学報』第29号、2010.2.1、1〜22頁
    本稿では、智親撰書と潅頂に関係する文献との比較を通して、『中論』「三諦偈」の初句である「因縁所生法」の一句だけに蔵教・生生不可説・生滅四諦を数法的配釈したのは、潅頂の思想ではないかとの疑義を示した。
  6. 「天台大師における『法華玄義』「行妙」の形成」(『仏教学研究』第66号、2010.3.15、125〜144頁)
    本稿では、『法華玄義』と『四教義』における別教「五行」解釈の本文的な一致を指摘するとともに、天台大師の『法華玄義』講説時に円教「五行」解釈を説く思想的準備があったことを報告した。
  7. 「潅頂『大般涅槃経疏』所引の『涅槃論』について」(『西山禅林学報』第30号、2011.3.31、27〜44頁)
    本稿では、慧遠・智・吉蔵・潅頂における『涅槃論』に関する言及を抽出し、本論所引の嚆矢が潅頂でないことを指摘し、潅頂の『涅槃論』引用が吉蔵撰述書中からの孫引きではないという事実もあわせて報告した。
  8. 「『菩薩戒義疏』と『梵網経』との関連性」(『印度学仏教学研究』第60巻掲載予定)
    本稿では、従来考えられてきた『菩薩戒義疏』の注釈理由が誤りであることを指摘し、本疏は「心では得戒できない(=無作あり)」とする『梵網経』の経文を重視して注釈された文献であることを報告した。

 

小野嶋祥雄

  1. 「「天台維摩疏」智親撰説への疑義—吉蔵撰述書との比較を通して—」(『岐阜聖徳学園大学 仏教文化研究所紀要』第9号, p33-60, 2009.3.10)
    本論文では、智の親撰とされる「維摩経疏」と、吉蔵の撰述書とを比較し、「維摩経疏」には智の弟子である灌頂の編集が加わっている可能性のあることを指摘した。
  2. 「初唐期の三一権実論の再検討」(『龍谷大学仏教学研究室年報』第15号, p.1-16, 2010.9.30)
    本論文では、法宝撰『一乗仏性究竟論』が、霊潤の「十四門義」を批判した神泰の「一巻章」を破折し、霊潤の義を救う目的があったことを指摘し、初唐期の三一権実論争に二系統があるとした常盤大定説に疑義を呈した。
  3. 「吉蔵著作中における「自然」の語の検討」(『印度学仏教学研究』第59巻1号, p231-234, 2010.12.20)
    本論文では、吉蔵著作中に於ける「自然」の語が、因果関係の必然性といった意味で使用されていることを確認し、このことから、吉蔵著作に見られる格義仏教的な用語が、仏教的に再解釈して使用されている場合のあることを指摘した。
  4. 「法宝と法蔵の著作間における一致について—三一権実論争との関連において—」(『龍谷大学大学院紀要 人文科学』第22集, p34-50, 2010.12.27)
    本論文では、法宝撰『一乗仏性究竟論』と法蔵の『五教章』『探玄記』とに見られる一致が、法宝と法蔵に先行する霊潤の「十四門義」と神泰の「一巻章」の権実論争を共に参照していた結果によることを指摘した。
  5. 「吉蔵教学における般若思想と仏性思想の融即」(『仏教学研究』第67号, p.53-70, 2011.3.10)
    本論文では、吉蔵の教学に見られる般若思想と仏性思想の融会は、「虚空」の解釈から導き出されたものであり、その思想的背景に吉蔵当時の中国では、「清浄」の概念と「空」「無」の概念に通じ合うものがあった為であることを明らかにした。
  6. 「法宝撰『一乗仏性究竟論』の基底 —特に浄影寺慧遠の思想と対比して—」(『印度学仏教学研究』第60巻, 4p, 2011.12月頃刊行予定)
    本論文では、法宝撰『一乗仏性究竟論』の仏性の定義と三因仏性と三身の対配に、浄影寺慧遠の『涅槃経義記』と『大乗義章』の影響があることを指摘し、法宝の教学が浄影寺慧遠の教学に連なるものであることを指摘した。

 

亀山隆彦

  1. 「東密における機根論の展開」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』第二八集、二〇〇六年一二月一〇日、一二六—一三九頁)
    空海(七七四—八三五)没後、真言宗内で即身成仏の根幹に関わる問題と把握され、平安から鎌倉、室町と時代を経るごとに多様化していくのが、機根に関する議論である。本論では、その起源と展開の様相を明らかにする。
  2. 「『大日経疏』における浅略釈・深秘釈について」(『印度学仏教学研究』第五六巻第一号、二〇〇七年一二月二〇日、一六九—一七二頁)
    『大日経疏』中に混在する善無畏(六三七—七三五)の口説と、および一行(六八三—七二七)による加筆箇所を判別するとの目的から、同書中に散見される浅略・深秘の二種釈の性質を分析した論文である。
  3. 「中世真言密教における命息思想の展開—『宗骨抄』を中心に—」、(『印度学仏教学研究』第五九巻第二号、二〇一一年三月二〇日、一一九—一二二頁)
    鎌倉期に秘密念仏が確立される際に、多大な影響を与えたと推測されるのが命息思想である。同思想が、憲深(一一九二—一二六三)をはじめとする醍醐寺三宝院流に連なる密教僧を中心に展開する点を指摘した論文である。
  4. 「『五輪九字明秘密釈』における五臓理解—覚鑁の成仏論の特質として—」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』第三三集掲載予定、二〇一一年発行予定)
    覚鑁(一〇九五—一一四三)『五輪九字明秘密釈』に明らかにされる金剛界の「五臓三摩地観」が、同じく覚鑁『《va?》字密観』で説示される「五智種子真言」の字輪観を下敷きに成立することを指摘した論文である。
  5. 「覚鑁における心身平等説」、『印度学仏教学研究』第六十巻掲載予定、二〇一一—年発行予定)
    若年時には、もっぱら心と身との不二性を説示するのみであった覚鑁(一〇九五—一一四三)が、晩年に向けて思想が円熟するにつれて、その心と身体との而二・平等を強調するようになる点を指摘した論文である。

博士課程3回生(2011/10/21現在)

山口大輔(意眞)

  1. 「宋代十一世紀にみえる『提謂波利経』の真偽問題」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』31、99〜119頁、2009年12月)
    智や道宣という各宗の祖師が引いた『提謂波利経』には、真経とされる一巻本と、疑経とされる二巻本の二種があった。本稿は、「祖師の引いた『提謂波利経』の真偽を殊更に問題視する記述群が、宋代にのみ存在すること」を指摘し、その理由を「天禅交渉、およびそれが醸成した宋代特有の宗派対抗意識にあった」と結論付けたものである。
  2. 「『提謂波利経』佚文補遺」(『仏教学研究』67、71〜93頁、2011年3月)
    従来、『提謂波利経』の本文資料としては、塚本善隆氏抄出による二一条の佚文(塚本佚文)と、牧田諦亮氏同定による四種の敦煌本が知られていた。しかし、これらを以てしても散佚部分が存在していたので、本稿は、両氏の時代には未運用であった電子大蔵経を武器に、塚本氏の方法論を再試行してみた。その結果、本稿は三つの新佚文を学界に紹介することが出来た。

 

上野隆平

  1. 「瑜伽行唯識学派における清浄法界の研究—mahAyAnasUtrAlaMkAra IX.56-59 DharmadhAtu-viCuddhiを中心にして−」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』第31集、平成21年(2009)12月25日、pp.79-102 )
    同論の第IX章・第56-59偈に説かれた〈清浄法界dharmadhAtu-viCuddhi〉に対し、「法界」とは何を意味するのか、また「清浄」とはいかなる状態を指していうのか、などの問題意識をもって考察をおこなう。
  2. 「『大乗荘厳経論』の仏徳論—MSA.XX-XXI.43-61(PratiSThAdhikAra)概観(1)—」(『行信学報』通刊第二十四号(復刊第十九号)、平成23年5月18日、pp.37-55)
    同論の第XX-XXI章・第43-59偈に列挙された21の〈仏の功徳buddha-guNa〉について、徳目の配列とその説相に注目し、同様の徳目を有する他の関連文献に対し、同論に特有の「不共」の立場を明らかにする。
  3. 「mahAyAnasUtrAlaMkAra XX-XXI.43-61 PratiSThAdhikAra考」(『印度学仏教学研究』60-1 or 2、2012年刊行予定
    同論の第XX-XXI章・第43-61偈がPratiSThAdhikAraと称せられることについて、NiSThAへの訂正を支持する先行研究に疑義を呈し、諸写本、及び『菩薩地』の当該箇所によりpratiSThA(基盤)の妥当性を主張する。

 

西山亮

  1. 「Prajn・prad・pa-?・k・第一章和訳(1)」(『龍谷大学佛教学研究室年報』第15号,2011年9月,pp. 54 — 69.)
    本稿は,8世紀前半に活躍した中観派の論師AvalokitavrataによるPrajn・prad・pa-?・k・の内の,第一章冒頭部の和訳とシノプシスである.テキストはチベット訳としてのみ現在に伝わっている.

 

佐竹真城

  1. 「『浄土論注要文抄』の諸問題」(『真宗研究』第56輯、2012年1月発行予定)
    金沢文庫に蔵される『浄土論注要文抄』(金沢文庫による仮題)は発見されて以来、長西の著作と推定されてきた。ところが、本書は未翻刻資料であることから十分に検討が為されていない。そのため、筆者の翻刻資料を元に本書が有する諸問題を指摘した。

博士課程2回生(2011/10/21現在)

吉田慈順

  1. 「『愍諭弁惑章』の考察」(『京都・宗教論叢』第6号、2012年刊行予定)
    『愍諭弁惑章』の撰述時期について考究し、「唐決」との関連から、本書が承和11(844)年5月7日以降,承和14(847)年4月15日以前の約3年間において成立したものであることを指摘した。
  2. 「『愍諭弁惑章』の位置づけ —最澄・徳一論争の展開上において—」(『印度学仏教学研究』第60巻、2012年刊行予定)
    『愍諭弁惑章』の「即身成仏義」に、「唐決」の影響が見られることを指摘し、その教学的内容と歴史的側面の検討を中心として、最澄・徳一論争の展開上における本書の位置づけについて考究した。

 

早島慧

  1. 「『唯識三十論』における二種の転依」(『印度学仏教学研究』59-1、2010年12月20日 pp. (402)-(405) 4ページ)
    諸研究において『唯識三十論』において, 転依は第29偈において“ACrayasya parAvRttiH”として示されると考えられてきた. しかし, 第5偈における“tasya vyAvRttiH”もまた転依を意味することを本論文では指摘した.
  2. 「PrajJApradIpa-TIkA第 XXIV 章 テキストと和訳(1) – anusaMdhi & pUrvapakSa – 」(『インド学チベット学研究』15(掲載予定)2011年 35ページ. 赤羽律、西山亮との共著)
    龍樹の『根本中論頌』の第XXIV章は二諦説が説かれる章として良く知られている. 本論文は, その複註であるPrajJAparadIpa-TIkA第XXIV章のテキスト及び和訳である. この(1)ではanusaMdhiとpUrvapakSaを扱う.
  3. 「PrajJApradIpaとMadhyAntavibhAga-bhASyaにおける勝義解釈」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』33(掲載予定)2011年 pp. (1)-(16) 17ページ)
    『般若灯論』第XXIV章には勝義の解釈が登場する. これには『中辺分別論』の勝義解釈の影響があると考えられる. 『中辺分別論』は勝義を修道論に基づき, 階層的に分類するが, 本論文は『般若灯論』にも同様の傾向がみられることを指摘した.
  4. 「『大乗荘厳経論』真実品における勝義解釈 -「菩薩地」真実義品の影響について – 」(『印度学仏教学研究』60、 2012年 掲載予定)
    『大乗荘厳経論』真実品における勝義は, 註釈をふまえると, [1]真如と[2]それを対象とする無分別智の二種と考えられる. 本論文は, この勝義の解釈には「菩薩地」真実義品における真実の影響がみられることを指摘した.

博士課程1回生(2011/10/21現在)

壬生秦紀

  1. 「〈無量寿経〉における「他方国土の願」に関する一考察 —「他方国土の願の原初形態考—」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』32、2010.12.27.pp. 101〜121.)
    本論文では、〈無量寿経〉の後期成立に属する諸本にのみ見られる「他方国土に関する願」の原初的な内容を、諸本の比較によって、明らかにした。加えて、それらの願文と〈初期無量寿経〉の願文との関係についても言及した。